徳善寺だより 第5号 平成15年 7月

まだまだ蒸し暑い日が続きますが、ご門徒の皆様方どのようにお過ごしですか。

先月の17日から26日までの10日間、わたしは京都の桂にある西山別院というところに研修に行って参りました。朝の5時半に起き、晩の10時まで、ギッシリ詰まったスケジュールで、お経の勉強をしたり、浄土真宗の教えを学んだりし、充実した10日間を過ごさせていただきました。全国から集まってきておりましたので、北は北海道から南は鹿児島まで、色々な方言が飛び交い、また色々な世代の方々とお話しすることができ、大変いい経験をさせていただきました。

改めて、出会いという尊い時間、普段何気なく過ごしている自分を見つめなおすことができ、限られた時間をわたしはどう過ごすのかと、未だに自問自答を繰り返している今日この頃であります。

限られた人生、限られた時間。そう考えると今という時間を、もっともっと大切に過ごすことができるのではないでしょうか。

わたしも皆様と一緒に考えていきたいと思っております。

合掌

○ お礼

5月30日に営ました永代経法要に多くのご門徒さんがお参りくださいました。ありがとうございました。今後ともよろしくおねがいします。

(総代一同)

○永代経法要の法話

永代経法要で安積義勝師から蓮如上人の「御文章」第5帖16通の「白骨の御文章」についての法話をいただきました。ご門徒の皆様一度は聞いたことのある御文章だと思います。

師は「私たちは老病死ということに遭遇しなければ、なかなか自分の人生を真剣に問うことができない。我々人間というものは、なかなか愚かなものである。なぜなら我々が住んでいる世界は、迷いという真っ暗な世界なのである。迷いというものは我々の我欲から生まれている。しかしながら阿弥陀如来さまは、迷いの世界に生きているこんな愚かな私たちでも必ず極楽浄土へ救ってくださるとおっしゃられています。そんな尊い阿弥陀さまのお慈悲に頭が下がる思いです。私たちが南無阿弥陀仏とお念仏を唱える行為は、阿弥陀様への感謝なのです。」といわれました。改めて「白骨の御文章」を読んでみてはどうですか。きっとなにか、心に伝わるものがあると思います。

○ 一語法話 お盆とは

お盆とは、正しくは盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、ウランバナという原語に諸説ありますが、ふつう倒懸(とうけん)=〔さかさまにかけられる〕と意訳されます。古く中国から行われてきた行事で、日本では7世紀以来、先祖まつりの意味をもって伝えられています。

「盂蘭盆経」によると、仏弟子の目連は餓鬼道におちて大変苦しんでいる亡母を助けようとしたができず、仏に教えられて盆器に飯食を盛り、多くの僧を招いて供養したところ救われたといいます。父母や先祖を思い、孝養をつくすというのがそのいわれです。

想い出の世界にいる人々をほんとうに先祖として、その想いを仏法の報恩にまで高めたいものです。人間の世界は冷たい別れの世界ですが、仏法の世界はあたたかい出会いの世界です。生きている人々をはじめ、亡き親たちとも一処に出会える機会が「お盆」だといえます。

我々の浄土真宗では精霊棚などはつくらず、特別なお膳なども不用です。また、迎え火、送り火などもいたしません。

○ おしらせ

お盆のお参りを、8月11日から15日の間にさせていただきたいと思っております。勝手ながら時間の都合上、こちらから日時を決めさせていただきます。万が一都合が悪い場合、お寺の方まで連絡くださいますよう、よろしくおねがいします。

○ 編集局後記

5月下旬に神戸西祖総代会、壮年会合同総会に参加しました。平成14年度の行事報告やそれと共に、15年度の「運動方針、行事計画、会計予算」が審議され、承認されました。今年もいろいろな行事が行われることになりますが、その都度、お知らせ、報告したいとかんがえています。

この《徳善寺だより 第5号》が御門徒の皆様のお手元に届くころには梅雨もあけ、厳しい暑さになっているかも知れません。皆さん、お体には十分に気をつけてお過ごしください。

合掌

戻 る

トップへ