徳善寺だより 第11号 平成17年 6月

今年の初夏は本当に過ごしやすい日々が続いております。ご門徒の皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

もう一ヶ月前の話になりましたが、4月25日の福知山脱線事故。犠牲者100人以上も出し、大惨事になってしまいました。連日連夜テレビや新聞紙上で大きく取り上げられました。色々な意見があるとおもいますが、私なりに述べたいとおもいます。

初めて一報を聞いたとき、まずはじめに思ったことは「これはやばいことになったな」でした。

合掌

○ 行事予定

6月25日(土)2時より徳善寺本堂におきまして永代経法要を厳修したいと思います。皆様のお参りお待ちしております。

永代経法要

6月25日(土) 2時より読経・焼香・法話

また3月12日、当寺で行いました彼岸法要には、お寒い中多数ご門徒の皆様がお参りくださいました。有難うございました。お礼申し上げます。

○ 一口メモ

「お盆のお飾り」

真宗では精霊棚は用いません。一般の法要と同じように、菓子、果物といった供物を仏前にお供えし、前卓(まえじょく)には打敷(うちしき)をかければよい。(精進料理のお膳や迎え団子、そのほか盛りたくさんな果物、野菜、ナスやキュウリにおがらをさして作る牛や馬も必要ありません)

ご先祖への報恩の思いから仏法を聞かせていただき、阿弥陀如来のお力によって救われていく身の幸せを慶ぶのが浄土真宗のお盆です。

○ 一語法話

(出典:「仏事のイロハ」末本弘然著 本願寺出版社発行

仏さま

いつでもどこでも仏さまに照らされている私でありましたいつでもどこでも仏さまにつつまれている私でありました-そのみ仏を「アミダ」という仏さまといっても、多くの仏さまがおられます。それぞれにお名前があります。浄土真宗の本尊(仏さま)は「阿弥陀如来」です。仏さまのお名前「阿弥陀」というのは、もとはインドの言葉です。インドの言葉

「アミダ」に、中国で同じ発音をする字を当てて「阿弥陀」と表しました。言葉ですから意味があります。お名前の言葉の意味を通して、仏さまのお心とお

はらたきを味わいましょう。「ミダ」は量るということです。「ア」は打ち消しの接頭語で、次に来る言葉の意

味を打ち消しますから、「アミダ」は量ることができない、量りしれないというので「無量」と訳しました。「無量」の内容は何かというと、一つは「寿命無量」(いのちに限りがないこと)。二つには「光明無量」(ひかりに限りがないこと)です。

いのちの限りがないということは、どんな時であっても休みなく、全てのいのちの上に、はたらいていてくださる仏さま。ひかりに限りがないということは、どんな所にもすみずみまで行きわたって、全ての世界をどこまでも等しく照らしていてくださる仏さまということです。

「阿弥陀如来」は全てのいのちを、いつでも、どこでも等しく照らし、つつみこんでいてくださる仏さまであることを知らされます。

あなたも私も共に、仏さまのいのちの中、み光の中に照らされているのでした。

事務局 神戸市須磨区寺田町2丁目1-2 徳善寺 内 TEL 078-732-0531

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