徳善寺だより 第16号 平成19年 3月

寒さのなかにも春の足音が感じられる今日この頃、ご門徒の皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

今年の冬は昨年とは反対に、記録的な暖冬になりました。我々にとっては過ごしやすい冬になりましたが、自然界を見渡しますとどうでしょう。各方面で次々と異変が起こっているニュースをよく耳にします。南極では雪がなく土が見え、ロシアでは平均気温が10度も上回り、また竜巻やハリケーンが色々な各地で起こり、人的災害も出ております。このような現状を私たち人間はどう受け止めるべきなのでしょうか。

温暖化といわれる時代に生きている私たちが、警告を鳴らしている自然に真剣に耳を傾ける時代なのではないでしょうか。自然は私たちに大きな安らぎと生きる力を与えてくれる、切ることのできないものであり、自然なくして我々の生命はありえません。『思いやり』ということは人間同士だけのものではありません。当たり前ですが自然は言葉を発しません。しかし私たちには「気配」ということを感じることができます。自然が発している「気配」をもっと私たちは感じるべきなのではないでしょうか。

自然と共存なくして、私たちの命はありえません。自然界あっての人間であって、人間のための自然界ではないのです。私たちの少しの『思いやり』によって自然からの大きな『思いやり』が帰ってくる。私たちは自然界の一人なのだという自覚にそろそろ目覚める時ではないでしょうか。

ご門徒の皆様の中で、温暖化対策として何か具体的に工夫されている方がおられましたら、お参りの際にでも是非お話を聞かせてください。また徳善寺だよりにて紹介したいと思っております。今年もよろしくお願いいたします。 合掌

○ 年忌のおしらせ

1 周忌平成18年
3回忌平成17年
7回忌平成13年
13回忌平成7年
17回忌平成3年
25回忌昭和58年
33回忌昭和50年
50回忌昭和33年
100回忌明治41年

○ 彼岸会のお知らせ

毎年恒例の彼岸法要を勤修いたします。皆様お揃いでお参り下さいますよう、よろしくお願いします。

日時 3月10日(土) 午後2時より (徳善寺本堂において) 勤行・焼香・法話

○ 一口メモ

「正定聚」(しょうじょうじゅ)とは

蓮如上人の御文章「聖人一流の章」の中に『(前略)・・・もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば、仏のかたより往生せしめたもう。そのくらいを一念発起入正定聚とも釈し・・・』と正定聚という言葉が出てきます。

この正定聚という言葉は

○「正しく仏になることに決定しているなかま」(浄土真宗聖典・注釈版)

○「浄土往生は間違いないという身、仏になるべき身に定められたもの」(研修読本)

と定義されています。ご本尊の阿弥陀さまが、菩薩から如来になられるとき、四十八の願をかけられ修

行されて、これを成就されました。この四十八願の中の根本の願といわれる第十八願には『われ仏とならば、生あるものみな、心を至し信楽(しんぎょう)して我が国に生まれようとおもいて我が名を称うるであろう。その人もし生まれずば、覚の身とはなるまい。ただ、逆悪と謗法のものは除く』とあります。

この意味は、『阿弥陀さまを信じ、帰命・帰依すれば、仏になること、浄土往生が約束される身』ということです。私たち門徒は阿弥陀さまの願力によって仏になることが定められた身であり、正定聚であります。

総代 尾川一

● 仏事の疑問 (葬儀)

Q.葬儀の時の包みものは?

A.一般の会葬者は「御香料」(御香典・御香資・御香典・御香儀)だけでよいのですが、親族や喪家と縁のふかい人は「御仏前」又は「御供」と「御香料」と別々に包むのがふつうです。なお、真宗門徒は「御霊前」とは書きません。

Q.包みを差し出す向きは?

A.人に差し出すときは、相手が読めるようむこう向き、お仏壇などにお供えするときは、自然な向き、つまりこちら向きに置きます。

事務局 神戸市須磨区寺田町2丁目1-2 徳善寺 内 TEL 078-732-0531

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