徳善寺だより 第17号 平成19年 5月

初夏の訪れが感じられる今日この頃、ご門徒の皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

熊本市でさまざまな事情で育てられない新生児を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト」に、運用初日3歳児の男の子が預けられたというニュースを耳にしました。皆様この事件に関してどう思われましたか。色々な意見があると思いますが、私はこの件に関しまして大変憤りを感じております。また「いのち」という重さが本当に軽薄になっている時代に恐怖心を感じずにはおられません。

親が子供を見捨て殺してしまい、その延長で子供が親を殺してしまうという悪循環。家族という最も硬い絆がいとも簡単にバラバラになっていく社会。人間の煩悩はどこまで深いのかと悲しくなります。

仏説観無量寿経には王舎城の悲劇ということが説かれてあります。簡単にいいますと、「アジャセ太子が、父ビンバシャラ王を幽閉し、その王のために食物を運ぶ王妃のイダイケ夫人をも宮殿に閉じ込める。夫人は釈尊を心に念じ、仏弟子を遣わして説法してくださるよう求め、これに応じて釈尊自ら王宮の夫人の前に現れた。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、阿弥陀如来の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法を説かれるように請うた。」という物語があります。

人間である以上誰しも過ちはあります。その過ちを身にしみて感じ、自分というものを心の底から見つめ直す。自分自身と向き合うことが出来たとき、我々が進むべき道が生まれてくるのではないでしょうか。こんな世の中だからこそ、真の道が必要だと思います。

合掌

○ 永代経のお知らせ

毎年恒例の永代経法要を勤修いたします。皆様お揃いでお参り下さいますよう、よろしくお願いします。

日時 6月10日(日) 午後2時より (徳善寺本堂において) 勤行・焼香・法話

※今月は第二日曜日ですのでお間違いなく

○ 一口メモ 真宗の葬儀と法事

葬儀において真宗と他宗では、しきたりが大きく異なります。

まず、真宗では住職が故人に対して「引導を渡す」と言うことをしません。「引導」とは導師である僧侶が死者を迷いの世界から浄土の世界に入らせるためのもので、一般に「渇」を入れる儀式として知られています。

真宗では、このような儀式はありません。念仏者はすでに浄土に往生することが定まっている、とされているからです。また、真宗で亡き人が迷っている、などという考え方もしません。真宗の教えでは、故人を浄土に導いて下さるのは阿弥陀如来であるとしています。

故人とは、この世においては二度とあうことはできません。それは永遠の別れではありません。「倶会一処」再び浄土で会えるのです。そのための儀式、それが真宗の葬儀です。

また「法事」も亡くなった人のご縁によって勤められますが、他宗のように、故人の冥福を祈る追善供養、という考え方を真宗ではしません。

真宗では、葬儀と同じく故人は阿弥陀如来のお力によって、すでに浄土に往生しているのだから、あの世の冥福を祈る必要はありません。

故人の命日に法要を営むのは、命日を機縁として、故人の意志をつぎ、しっかりと生きていくために、仏法を聞くというのが真宗の教えです、

阿弥陀如来の御恩に感謝し故人を偲び、人生の無常を感じ、人生の意義を考え、如来の教えと出会う場、それが「法事」といえます。

● 仏事の疑問

Q.「永代経」とはなんですか「永代経」というお経があるのですか?

A. 真宗の寺院では、「永代経」という行事が、年に1,2回行われます。「永代経」をあげるというと、「永代経」とはお経の名前と思うかもしれませんが、お経ではありません。正しくは「永代祠堂経」(しどうきょう)といいます。祠堂とは、ここでは本堂を指します。本堂には阿弥陀如来が安置され、真宗門徒はここで仏法を聴聞します。

仏法を聞くこの場は、真宗門徒にとって最も大切な場所です。この場(寺院)が永代にわたって維持されることを願って営まれる法要が「永代経」という行事なのです。他宗のように追善回向を意味するものではありません。

「永代経」とは故人の御縁によって仏法を聞くことであり、お経をあげたらそれでいい、というわけではありません。

事務局 神戸市須磨区寺田町2丁目1-2 徳善寺 内 TEL 078-732-0531

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